山ノ荘村本郷

 

 母の実家は山ノ荘村本郷にあった。

筑波山連山の一つ、雪入山につながる浅間山の裏側にあって、母は、

私が3、4歳のころ幾度かその山を越えて実家の本郷へ逃げ帰ったと聞いている。

 

 私の記憶の奥底にあるその日の夕方。野良仕事を終えた母は薄暗い台所に

立っていた。

 湯で上げたうどんを丼に入れてつゆをかけ、舅に出した。

 ところが、その白い丼の底にうどん粉を薄めて作ったノリが入っていたのだ。

それに気づいた舅はカンカンに怒って、

「このあま、こんなもの食わせる気か」

と丼を土間に叩きつけた。そしてその手でそばにいた母の髪の毛を引っ掴み、丼が転がっている土間を引き摺りまわしたのだ。

 そばの板の間で、私はギャアギャア泣いた。

今でもその光景が心の奥に強烈に残っていて心が震える。

しかし母は、いつも山を越えて本郷に逃げ帰っても、実家の祖母や祖父に伴われて

必ず帰って来た。白いゆで卵を風呂敷包み一杯抱えさせられて。

 今考えると哀れである。

朝から晩まで馬車馬のように働いていても、家族の誰からも評価の言葉を貰えない嫁。それどころか、嫁である母は奴隷だった。働かない家長である祖父の奴隷であった。

 そんな母と本郷のお祭りにいった事がある。

歴史のある本郷の日枝神社は大きな杉の森にかくれていて、社務殿に続く細く長い道を 男達が馬に乗って矢を射る「やぶさめ」がおこなわれていた。

 遠くから聞こえるヒズメの音が次第に大きくなり、私たちの目の前を馬に乗った男達が風のように走り去った。

と思う間もなく男達は杉の木に作られた的にびしり、ぴしりと矢を射る、その壮観な光景を私は母の手を握りしめて見ていた。

母は嬉しそうだった。

 その日は、いい月夜の晩だった。

 母と一緒に本郷の風呂に入った。風呂場は母屋の裏にあった。数本の大きな欅の木の下に土壁で囲まれ、中は狭い洗い場と五右衛門風呂がある。蓋をとると、湯船の真

ん中に丸い板が浮いている。その板の上に上手くに乗って湯船の中へ体を沈めるのが五右衛門風呂方式である。

風呂釜の横の洗い場で体を洗い終わると、母は私を抱えながら湯船に沈んだ。

洗い場の横の土壁が崩れ落ちていた。そこに出来た大きな穴から白い月の光が明るく差し込んでいた。

「いい湯だなやぁ」

母は手ぬぐいで顔をぬぐいながら優しい顔で言った。それから長い話が始まった。母の小さい頃の話や祖母の話、本家の話をし、最後に父と一緒に暮らした満州での話を続けた。長い話の終わりは「支那の夜」だった。母は、濡れ手ぬぐいを腕にかけ振袖を作ってそれを揺らしながら手ぶり身振りを加えて酔いしれるように歌い続けた。