アレックスの家は空港から程近い、街中の大通りから路地に少しばかり入った突き当りにあった。その辺りはびっしりと家が建て込んでいて、路地の両側に掘られた溝には汚水が淀んでいた。
鉄の低い門扉を開けながらアレックスは馬鹿でかい声で、おーッ、おーッと怒鳴りながら大股で入っていく。
子供が三人、先を争うように飛び出してきた。そして私達に気付くと恥ずかしそうに体をくねらせながら父親に絡みついた。アレックスはホイと袋からコーラの缶を1本取り出して、
「三人、三人で分けるんだぞ!」
そう言って一番大きい女の子に渡した。
コーラの土産に子供達は大喜びで跳ね回っている。私は何ともいたたまれない気持ちだった。日本では、百円玉を自動販売機に入れて、飲みたいときに飲みたいだけ飲み捨てているものが、ここでは跳び回るほど嬉しい代物なのだ。その、我が子の為に買った二本のたいした代物一本を、惜しげも無く出会ったばかりの外国人の子供に最大の愛情を込めてくれたのだ。今の日本人にこの男の真似ができるだろうか。私はどうだろう。
こっそりと仁と邦子の様子をうかがった。最初のカルチャーショックを受けたようだった。
それにしてもアレックスの奥さんは美人だった。大都会ジャカルタの出身というだけあって、垢抜けした人だった。アレックスにあなたは醜男なのになんでこんな美人の奧さんが貰えたの、と悪気無く訊いてみたら例の馬鹿でかい声を揺さぶって
「ハハハハ、こいつが結婚してくれ、してくれってせがむもんで、しょうがないから結婚してやったんだよ。ハハハハ」
子供みたいに照れて顔を赤めた。
「違うわ。この人がそう言ったのよ」
奧さんは頬を染めながら熱いコーヒーの入ったガラスコップをテーブルに置いた。
スンバワのコーヒーには生姜が入っている。他に何か混じっているのかもしれないが、確かに此処の人達が自慢するだけあって独特の強烈な風味がある。
コーヒーをすすりながら表を見ると、塀の上に近所の子供やら大人やらがぞっくりと首を並べて私達を眺めていた。

一服した後、三軒隣に住んでいるアレックスの弟夫婦が「古い宮殿」を案内してくれる事になった。そこには、昔話の上手な番人いるという。
さっそくアレックスの子供三人、アレックスの弟夫婦、、そしてその子供、仁、邦子、私、それに近所の子供が数人加わって、自家用の古いコルトに乗り込んだ。
コルトとは、まさに日本のコルトで、後部座席が三十年ほど前の乗り合いバスのように車の両側についている。だから、乗りようによっては何人でも乗れるのである。。
私は比較的クッションのきいている運転手席の隣に、仁と邦子は私と離れて、他のみんなと一緒に後ろに乗った。
急ブレーキを掛けたり、凸凹道を走ったりするたびに、きゃあきゃあ叫び合う声が笑い声に混じって聞こえてくる。後ろは芋洗い状態になっていた。
うだるように暑い昼下がりの街中をドッカルと呼ばれている馬車が、鈴を鳴らしながら気怠そうに走っている。そのそばを日本製のバイクが疾風のごとく追い越して行った。


古い宮殿は、その名のとおり古く荒れ果てていた。宮殿というから壮麗で豪華なものを思い描いていたが、目の前にあったのは装飾らしい装飾が殆ど施されていない木造の大きな建物だった。
入り口にある幅五メートルほどの階段から、オレンジ色のTシャツを着た年の頃四十二、三の男が降りてきた。この宮殿の番人である。
番人はスンバワ島民であること、そして此処の番人であることに大きな誇りを持っていた。だから、私がここにスンバワ島の昔話を聴きにに来たと知ると、ショボショボした目を時折ぐっと見開いて、スンバワの事なら何でも俺に訊いてくれと言わんばかりに胸を反らしてリズミカルな口調で説明しだした。
宮殿は、1885年に建てられたという。それ以前にこの地に別の宮殿建っていたが、焼け落ちてしまった為、スンバワ王国の民衆が「ゴトンロヨン(相互扶助)」によって建て替えたものらしい。
資料によると、母親が子供を身籠もっている期間と同じ九ヶ月の日数を費やし、イスラム教の絶対唯一神であるアッラーの神の徳の数と同じ九十九本の柱を使用したというから、かなりイスラム教の影響が強かった時期に建てられたと思われる。
しかし、非常に面白いのは、そんな状況のなかでもこの宮殿の中に「アダット(慣習法)」という所謂法律に匹敵する効力を持つしきたりを執り行う「間」があることだ。排他的なイスラム教でも人々に長く染みついた慣習法までは排除出来なかったのか、それとも人々が両方とも受け入れているのか、まるで神道と仏教を抱えて暮らしている日本人のようなのである。
いつの間にか子供達は言葉の垣根を跳び越えてキャッキャッとふざけ戯れている。宮殿の中にある古い太鼓をドンドン叩き、玉座によじ登っている。それでも番人はいっこうに気にとめない。私の方が気になって、うちの子供だけはと禁止すると、番人は、いいからやらせてやれ、と全く大様なのである。
話を聞く段になると、私はドキドキして、慌てて、テープレコーダーをセットする手が震えた。いつもそうだ。肝心要の時になって何でも駄目にしてしまう。見かけによらず気が弱く脆いのだ。駄目だ、落ち着け、落ち着け。
番人は慌てふためいている私のそばで、いい声を出そうとしきりに咳払いしている。私が震える手でどうにかテープレコーダーのセットにこぎつけると、番人の話が静かな調子で始まった。
涙岬
むかし。
スンバワ島に ララインタン・ブラインという かわいげな 姫さまがいた。
ところが ある日 姫さまは ライ病に かかってしまった。
王さまが 国中の医者やら まじない師をよんでみせても 姫さまの病は いっこうによくならなかった。
そこで 王さまは おふれをだした。
姫の病を なおすことが できた者には
金持ちであろうと 貧乏人であろうと
たとえ その者が 乞食であろうと
姫との 結婚をゆるす。
おふれの うわさは 島中にひろがり やがて ほかの遠い島々にまで つたわって いった。
マッカサルの ダイン・ブリンギという 王子さまの耳にも そのうわさは 伝わっていた。
王子さまは 妖術のつかえる人で そのうわさを知ると たちどころに 姿を変え
よぼよぼの 汚い爺さまになって スンバワ島にむけて 船を出した。
スンバワ島につくと、爺さまは そのまま まっすぐ 宮殿へむかった。
門番に
「わしは マッカサルから ここの姫さまの 病をなおしに来やした」
と つたえると さっそく 王さまの前に とおされた。

王さまは たいそう喜んで
「そなた どこから まいった」
と 爺さまに たずねた。
「わしは ここの姫さまが おもい病に かかっていると知って マッカサルから
やってきやした。 わしが なおして ごらんにいれます」
「さようか さようか たのむぞ」
この時 王さまは爺さまに 姫さまの 病がなおせたら きっと 姫さまと 結婚させてやると かたく約束した。
さっそく 爺さまは 王さまの 家来どもに 姫さまを スンバワ島の 東はずれまで つれていくように言った。
姫さまを かごに乗せ 東はずれの 山の峰あたりまでいくと かごを かついでいた 家来どもが ぶつぶつ言いだした。
「姫さまが くさくてくさくて もうだめだ」
すると 爺さまは
「そうか それなら そこへおろしてもかまわん」
そう言って 姫さまのかごを 下へおろさせた。
家来どもが 鼻をつまんで にげるように 宮殿へ帰ってしまうと 爺さまは 地べたにしゃがみこんで なにやら しきりに 地べたを なでまわした。
それから つと 立って そこに 立ち小便をした。
シィ・・・・・・・・
すると どうした事か 小便して できた穴から 澄んだ きれいな水が コンコンと あふれ出た。
爺さまは その水をくんで 姫さまに 浴びせた。 すると何とたちどころに シミひとつない もとの姫さまの 姿にもどった。
うれしさのあまり 姫さまは 爺さまを 見た。
爺さまも 姫さまを 見た。
ふたりは じっと 見つめあった。

姫さまは あっと 思った。
(若くて なんと りりしいのでしょう)
汚く よぼよぼの 爺さまが 姫さまには りりしい若者に うつって見えた。
姫さまが すっかり治ったという 知らせを 聞いて 王さまは すぐに 爺さまと
姫さまのいる 東はずれまで かけつけて来た。
けれども 王さまは 爺さまとの 約束を まもろうとはしなかった。
「つりあわん、おまえのような 薄汚い おいぼれに わしの 大事な姫を やれるか」
「年よりでもいいと 約束しなすったのに」
爺さまは トボトボと 立ち去って 行った。
ところが 爺さまが 立ち去って しばらくすると 姫さまは きゅうに 具合が
悪くなり ふたたび 病の床に ふして しまった。
そして 日がたつにつれ しだいに 痩せこけ 顔色は 青ざめ くさりかけた傷口は
ひろがる一方で 床の中から 爺さまの名ばかり呼んでいた。
そんな 姫さまが どうにもあわれで かわいそうで 王さまは 爺さまに届くように またも おふれをだした。
幾日かたつと 姫さまの 病を案じた 爺さまが また 宮殿にやってきた。
前に 爺さまとの 約束を まもらなかった 王さまは
「すんだ事は 水に 流してくれまいか。 今度こそ 約束は きっとまもる」
と いった。
「よう わかりました。 そんじゃ 姫さまを 東のはずれまで 連れて行ってくだせい」
姫さまを かごに乗せ 東のはずれまで 行くと 家来どもが ぶつぶつ 言いだした。
「姫さまが くさくて くさくて もう だめだ」
すると 爺さまが
「そこへ おろしても かまわん」
といって 姫さまの乗ったかごを 下へ おろさせた。
家来どもが 鼻をつまみ 宮殿へ 逃げ帰ってしまうと 爺さまは 小刀を とりだし 地べたに しゃがみこんで なにやら しきりに 地べたをなでまわし それから
そこに グサリと 小刀を つきさした。
そして 小刀を 引きぬくと あろうことか その穴から またも すんだ きれいな水が こんこんとあふれ出た。
爺さまは その水を 姫さまに あびせた。すると やはり たちどころに もとの 元気な 姫さまに もどった。
姫さまは 爺さまを 見た。
爺さまも 姫さまを 見た。
ふたりは もう離れたくないと思った。
けれども 王さまは またも 爺さまとの 約束を まもらなかった。
「このように 美しい わしの姫を きさまのような おいぼれに くれてやれるか。その年で 子供がいないような おいぼれは もう くたばったも同然じゃ。つりあわん」
約束を 二度もやぶられ さんざん 辱められた 爺さまは 目に 涙をにじませながら 山道を 走った。北へ 北へと ころがるように 走った。走って 走って 走りつづけ 岩が ゴロゴロある 海の近くまで たどりつくと うしろから 姫さまが 追い付いて きた。
ところが 姫さまの すぐ後を 王さまの 命令で 家来どもが 爺さまを 殺しに
やってきていた。

とっさに 爺さまは かぶっていた 頭巾をはずして 海になげいれた。
それから自分も 海に 身を投げ 波の上で ゆらゆらしている 頭巾の真上に
ひらりと 跳びうつった。
すると それまで よぼよぼだった 爺さまが みるみるうちに りりしい若者に
かわっていった。
姫さまは 切り立った崖の上から 深い海を 見下ろして泣いた。
頭巾に 乗った若者が 手をふりながら だんだん だんだん 小さくなっていく。
「ああ もう どうしようもない」
姫さまは そばにあった岩に すがりついて泣いた。泣いて 泣いて いつまでも泣きつづけた。
そして とうとう しまいには そのまま 石に なってしまった。
この時から スンバワ島の 人々は この岬を 「涙岬」と呼ぶようになった。
いまでも 満月の晩に 漁師が釣りをしていると その 悲しげな泣き声が 風に 乗って聞こえてくるという。
話し手:古い宮殿の番人(1987年)

現在ここに住んでいるスンバワ島の島民は、もともとここに住んでいた人々ではない。1815年スンバワ島の北側に突き出たサンガル半島にそびえたつタンボラ山が大噴火し、9万人の犠牲者が出たという。この噴火でもともと、4000メートル近くあったタンボラ山が1000メートル近くも低くなったというから、如何に噴火が凄まじかったかが推察できる。
噴火がおさまった19世紀半ごろ、スラウェシ島からやってきた人々が島の東側に、西側にはスンバ島からやって来た人々が移り住んだと聞いている。したがって、同じ島にいながら西と東では言語体系がまったく異なっているのである。その為、現在では、西の人間と東の人間はインドネシア語でコミュニケーションをとっているのだ。
興味深いこの話は、19世紀ごろの話が元になっているのではないだろうか。恐らく部族間での争いが激しく、異部族間での恋愛、婚姻は禁じられていたに違いない。番人が涙ながらに語ってくれたこの話の最後、王子さまが崖から海に浮かぶ頭巾の上にひらりと飛び降りて去って行く、という下りだが、本当に生きていられたのだろうか疑問だった。
三日後、舟でそばを通ってみた。
切り立った断崖はどこまでも高く、エメラルドグリーンの海はどこまでも深かった。
やはり爺さまは死んでしまったのではあるまいか。そして、愛する爺さまの死が姫さまに死を覚悟させてのだろうと思った。
では何故、王子さまは生きていると語られたのだろう。恐らく人々は、この悲しい話を語り継ぐ折、救いようのない悲しい話のままで伝えてくなかったのだろう。それは死んでいった者たちへの優しさというより、恨みを抱いてさまよっている霊を恐れ、わずかでもいい、話の中で鎮めようとしたのだろう。そんな気になった。