

晩になるとマラリヤにかかるのを恐れて、窓をしめきったまま蚊取り線香をたいて床についた。スンバワでの初夜は、疲れ切って死んだように眠りこけてしまったから何とも感じなかったが、その晩はいささかまいった。
床について半時間もたたないうちに、四畳半ばかりの部屋は、線香の煙が充満する蒸し風呂と化していた。仁も邦子もボリボリと手足を掻きながら寝返りを打っている。
あまりの煙たさと暑さに、何度か窓を開けてしまおうかと思った。しかし、ここで窓を開けてマラリヤにかかったらとんでもないことになる。仕方ない。私は日除け帽子で二人の子に風を送り続けた。
天井を仰ぐと、暗がりに動く白いものがある。あおぐ手を止め、闇を透かしてじっと目を凝らした。すると、出てくるわ出てくるわ、カレンダーの後ろや壁に掛かっている服の陰、いやそれどころじゃない、天井のありとあらゆる隙間からニョロニョロ、ニョロニョロ、先を争うように這い出して来る。透きとおるように白いヤモリたちである。
ヤモリはその名のとおり、蚊やゴキブリを餌にし家を守ってくれる小動物である。かつての日本人がそうであったように、インドネシアの人々はこの小動物を大切にし、同居している。以前、一匹や二匹は見たことがあるが、一度にこれほど多くのヤモリを見たのは初めてだった。
私はそっと手を伸ばし、蚊取り線香の燃え口をへし折った。
しばらくすると、ヤモリたちはこの上なく上機嫌で合唱しだした。天井の端っこの一匹が歌い終わると、片側のもう一匹が歌い返す。そうかと思えば、一斉にチッチッチッ、チッチッチッとやりだす。
やがてヤモリたちはだんだんといい気分になって、些細な音など屁とも思わずチッチッチッ三昧になっていった。実に賑やかだ。
私は再び日除け帽子をとり、そっと子どもたちに風を送りはじめた。
いつしか朦朧とした意識の中で、うっすらと夜が明けはじめ、「ティー、ロティー」と、叫ぶパン屋の声が、ガタガタいう自転車の音と混じって響いてきた。
「お母さん、起きて」
薄目を開けてみると見ると、邦子が腕を掻きながら立っていた。その掻いている腕が赤く腫れあがっている。
途端に眠気が吹っ飛び、慌てて邦子を幾分明るい窓際まで連れていき、パジャマを脱がせた。
邦子の柔らかい肌は、恐ろしいほど汗もがふき出し、特に手、足、首のあたりは、出る場所を失った汗もが団子のように重なって膨れ上がっていた。
エライことになってしまった。
桃の葉は無いし、持ってきた痒み止めなど焼石に水だろう。そうなると、水しかない。しかし、水だってそう綺麗ではないのだから、傷でもあったらとんでもないことになる。どうしよう。水を浴びせられるだけ浴びせて、後から清浄綿で拭く。それしかない。仁はどうだろう。
私はまだ眠っている仁のパジャマをめくり上げた。幸い何でもなかった。それで幾らかほっとして、私は邦子の手を引っ張って風呂場に飛び込んだ。
風呂場はトイレと一緒になっている。壁ぎわに、常時水を満タンに張った風呂桶が便器と並んで設けてある。ここでは、日本のように風呂桶には入らない。人々は風呂桶に張られた水を、朝と晩、もしくは仕事などで汗をかいた時、ひしゃくで汲んで浴びる。これはお湯に慣れている日本人にとって、心臓が止まりはしないかと心配になるほどヒャッとするが、まさに郷に入りては郷に従えである。浴びた後が何ともすがすがしい。
トイレの時もその水を使う。用を足した後、張られた水をひしゃくで汲んで、不浄の手とされる左手で洗い流す。こう書くと、たいていの日本人は眉をしかめる筈。薄っぺらい紙で始末するほうがずっと清潔だと信じているからである。しかし、薄っぺらい紙を五枚重ねても大腸菌はウヨウヨしていると聞いたことがあるから、おそらく大差はないのだ。問題なのは習慣、習慣が行動をさまたげる。大のインドネシアびいきである私でさえ、行動を起こそうとすると、頭の芯のあたりがジィーンとして、どうしても出来ない。ここでは、トイレが詰まりやしないかと気にしながら、わずかな紙で惨めに始末する日本人の一人なのである。
その日一日中、時間があれば邦子をこの風呂場に引っ張り込み、否が応でも頭から水をかけ続けた。
私たちが貸してもらった寝室のドアを開けると、通路兼居間になっていて、窓ぎわにカギ型に並べられたソファアが置かれてあった。そこにアレックスは心配そうな顔で、朝からずっともたれかかったままでいた。
そして、私たちがせわしなく風呂場と寝室を往復するたびに、肩を落としてため息を漏らし、
「ニコ、ニコ」
と、必ず数回、邦子の名前を呼んで、顔をくしゃくしゃにしてみせる。言葉の分からない邦子を慰めているのだ。
手を使い、顔を使う。時には体全体を揺さぶり眉毛まで動員させる。その仕草があまりにもオーバーで滑稽なものだから、子どもと一緒に私まで腹を抱えて笑いこけてしまった。
私の必死な治療の成果、アレックスの慰めのせいか、昼頃には汗もは勢力を弱め、邦子もあまりかゆがらなくなった。
そんなわけで、アレックスおじさんは困ったことがあったら絶対に自分たちを助けてくれる人であるという思いを深めていったようである。
その日の昼食も人数が多いので二部制になった。はじめにここの子どもたちと奥さんが済ませ、次にアレックスと私たち親子がとった。
テーブルの奥中央にアレックスが座り、両側に邦子と私、アレックスと向かい合って仁が座った。食卓には、まわりに穴の空いたふ蓋つきの金属製のおひつが置かれ、そのそばには具の入らないラーメンが、底の深い大きな皿に盛られてあった。
アレックスは、
「うんと食べろ。うんと食べて大きくなれ」
と言いながら私たちの皿にご飯を盛り、ラーメンをかけた。
「じゃあ、食べようか」
アレックスは背中をまっすぐに立てて言った。私たちの皿にはスプーンがついているが、アレックスのには無い。ご飯とラーメンを指で器用に固めて口に運ぶ。それがここの食事作法なのである。
ご飯も日本のそれとはまるで違う。粘りっけがなく、気のせいかジャスミンの香りがする。日本のご飯と茶漬けがなかったら生きていけない私にとって、正直なところここのご飯を食べるのは辛いものがあった。だからと言って食べないわけにもいかず、微笑みながら出来る限りゆっくりと口に運ぶ動作を続けていた。
贅沢に慣れている仁や邦子も、きっと私同様、いやそれ以上辛いと感じているに違いない。いやいや、それどころか、「もしかしたら「まずい!」などと平気でぬかすのではあるまいか。
そう思うと、私は気が気でなかった。
スプーンでご飯をすくいながら仁の様子をうかがった。
ところが、あの、食べ物にうるさい仁が、やたらとガツガツ食べているのだ。何だか狐につままれているようで、そのまま視線をずらして邦子を見た。普段と変わりなくすました顔で食べている。
そして、豚のようにガツガツ食べる仁に、アレックスは大柄な顔を目一杯くしゃくしゃにさせて
「そうだ、その調子だ。ほら、仁、食べろ。なくなったらもっと持ってくるからな」
と、発破をかけながら仁の皿にご飯とラーメンをてんこ盛りにする。仁も、何を言われているのか分からない筈なのに、タイミングよく頷きながらスプーンでご飯ラーメンをかきこんでいた。
不思議でならなかった。日本で、同じものを食卓に出したなら、子どもたちは言いたい放題の文句を並べたてるだろう。それがなぜ、ただでさえも暑くて食欲がわかないこの地で、あんなにガツガツと食べられるのだろう。子どもの方が順応性があるからだろうか。
私は物足りない胃袋をなだめるようにさすってから、食卓を離れた。