インドネシアの昔話を求めて(八)

 ー スンバワ島の東端の町、ビマから飛行機でチモール島クパンへ ー

 

飛行場はティモール島の南端の町、クパン郊外にあった。

地理的条件から、バリ島以東の島々に飛ぶ飛行機の重要中継地点になっている。それだけで空港はどことなく開放的で明るく、田舎都会という感があった。

 空港内は職員、空港警察、それにポーターとタクシーの運転手が持ちつ持たれつで、互いの領分を犯すことなくうまく回している雰囲気がある。

 それにしても、職員の出で立ちはパリッとしていて、惚れ惚れするほど恰好がいい。白の上着に紺のズボン、ウエストの重厚なバックルがきまっている。それにひきかえ、薄茶のシャツにこげ茶のズボンをはいている警察官はあまりぱっとしない。どれも醜男に見える。やはり、太陽がたっぷりあるこの国の人たちには、白がまぶしいほど良く似合う。

手荷物受取所で荷物を待っていると、厚かましい顔つきのポーターがすっと寄って来た。

スンバワでは見られなかった胡散臭い目をして、

「奥さんの荷物はこれかい?」

などとコソコソという。

咄嗟に来たな、と思った。

 都会の雰囲気がある、言い換えれば金が多く流れる所ほど、こんな目をした人間が多い。敵の態度に圧倒されて、気弱に頷いたりいたら最後、存外な金を巻き上げられる。

「いいの!自分で運ぶから」

私は、強引にタクシーに運ぼうとするポーターからトランクを奪い返し、タクシーがたむろしている表に出た。

 出口の壁に、大きな宣伝ビラが貼ってあった。ホテルの宣伝だが、ひとつは金持ちむけの御大層なもので、もう一つは、どうやら中の下といった程度のようだ。

贅沢すると後がつらい。明日渡るサウ島には、宿屋なんてものは無いかもしれないのだ。野宿するぐらいの覚悟をしないと。

 そんなわけで中の下程度の“ウィスマ スシ”なるホテルに泊まることにした。

 タクシーは灌木の生える丘を下る。道端の岩や木々に白いペンキが帯状に塗られている。事故防止のためらしいが、乾ききった土地と熱い太陽、それにこの白いペンキが、インドネシアというよりも、メキシコあたりの田舎に来た感じにさせる。



          

 やがてタクシーは道路をへだてて海に面して建てられた白い三階建ての、決して立派とは言えない、しかしビマの宿屋にくらべたら天国のようなホテルに入った。

「海だ!海だよ。釣りができるぞぉ」

 釣り好きの仁は、わざわざ日本からリール付きの釣り竿を持ってきたのだが、そのチャンスにめぐまれず、内心かなり不満だったようだ。

 タクシーのドアーを開けてもらうと、仁は邦子を引き連れて、弾むようにホテルの中へ駆けていった。

 入り口の扉を開けると、ロビーになっている。ロビーなどと書くと、いかにもロマンチックな雰囲気の広間を想像させるが、実はテーブルが二、三卓、椅子が五、六脚あるだけである。その奥の右端がカウンターになっていて、口髭をはやし、目のギョロギョロしたメキシコ風の男が、あのチョロついていた子どもの親が来たといった表情で待ち構えていた。

 そばには、一見してイリアンジャヤ出身とわかる縮れ毛で丸顔のボーイが、控え目に立っていた。

「部屋、空いていますか?」

「はい。エアコン付きの部屋と、エアコン無しの部屋があります」

 蚊の鳴くような声で喋る。

どうもこの国は、島によって男の性格が違うようだ。

「エアコン付きだと一万五千ルピアからあります・・・・・」

 いまにも腰の拳銃をぶっ飛ばしそうな風貌の受付は、聞き取れないほどの小さな声で一応説明し、それからどの部屋にするかを訊いてきた。

 私は、エアコン付きで一番安い、一万五千ルピア(約千円)の部屋にした。

 その時

「お母さん大変、渡辺さんっていう人がいるよ。和知さんでしょ、だって。二階にいるよ」

「お母さんのこと呼んでる」

 仁と邦子が息を弾ませながら戻ってきた。

 渡辺さんとは電話で話しただけで、会ったことはなかったが、異国で出会う日本人以上の驚きと感激があった。

それは多分、私がひょんなことから目を向けた島々に、彼女もまた目を向け、通い続けているからだろうと思う。

 私は興奮して、奇跡だ奇跡だ、と繰り返し叫びながら二階の階段あたりを仰いだ。

「こんにちは。和知さんでしょ。ハハハハ」

 女ばかり三人、歓声をあげながら手を振っている。花が一斉に咲いたような華やかさである。

 荷物を三階の部屋に入れてから二階にいってみた。

部屋の前にある食卓兼来客用の丸いテーブルの上に、梅干し、紅茶、緑茶、海苔といったたぐいの日本の食べ物をごっそり並べて、小奇麗な女性たちが優雅に時を楽しんでいた。

 その中で一番年上なのが渡辺さんで、今回は従姉妹の照子さんと友人のYさんの三人でアロール島へ織物を見に行くの、と目を輝かせて喋ってきた。

渡辺さんの生き生きと澄んだ目をみているうちに、ふとスンバワ島で聞かされた黒魔術のことを思い出した。

「黒魔術って、目だけでもかけられるのかしら? みんな、とても良くしてくれて感激のし通しだったんですけれど、何だか目が怖くて。私がおかしいのかしら?」

「ううん、そうじゃないわ。私だって怖い時があるもの。そんな時は目をみないようにしているもの」

 渡辺さんが頭を振りながら声を落としてそう言うと、照子さんが明るく、

「ほんと、インドネシアって不思議なことがいっぱいあるわよね。ほら、万知子ちゃん、ワニ、ワニ」

「そうそう、ワニを天女の化身だって信じている年寄りがいるって聞いて、行ってみたんだけど、ほんとにいたのよ。部屋の中にワニ専用のベッドがあってね、毎日ワニの背中にワックスかけてピカピカに磨いちゃって。ハハハハ・・・寝かせてた。枕だってあるんだからハハハハ・・・」

 童話作家が飛びつきそうなこの話には、きっと何か裏がある気がした。

 私の体内からムラムラと血が湧き上がっていた。明日はサウ島なのだ。

 ひとしきり喋った後、ここからさほど遠くない所にあるケラ島という無人島へいきませんかと渡辺さんに誘われた。

「船は隣の部屋の男たちがチャーターするっていうからタダだよ。ハハハハ」

 うまい話である。しかし、ジャカルタから旅行に来たという男たちは、小奇麗な三人の女たちに声をかけたのであって、こぶつき女にではないだろう。

どうしたものかと躊躇していると、渡辺さんが、

「訊いてみるわ」

と、部屋の前でヘラヘラしている男三人に交渉にいった。

 相談をもちかけられた男たちは、さも面白くなさそうにそっぽを向いてしばらくコソコソ喋っていたが、しまいには渡辺さんに押し切られたらしく、しぶしぶ承諾した様子だった。

 往きの船の上で、私は小さく縮まっていた。

もともと図々しいほうで、縮まっていられる性格でない者が縮まっているのは、窮屈な上、心がしおれる。

 膝を抱えながら渡辺さんを見た。

マストに掴まって潮風に髪をなびかせながら、上手とは言えないが、インドネシア語をあやつっている姿がまるで映画に出てくる女優のようだった。

 そして仁も邦子も、日本にいれば喧嘩ばかりしている二人が、この時ばかりは船の真ん中で肩を寄せ合い、遠慮がちに膝を抱えて座っていた。

 インドネシア人の時間的感覚はまったく当てにならないと前にも述べたが、鼻の下を長くしてヘラヘラしているジャカルタ男は、ケラ島まで片道三十分だと言っていた。確かにそう言った。

とんでもない話だった。ケラ島に着いたのは、陽が傾きかけた頃で、白い島がオレンジ色に染まっていたのだから、たっぷり一時間半はかかっていた筈である。

 それなのに当の本人たちは、あっけらかんと、ひと歩きすれば一周できるほどの、ちっぽけな島を探検と称して、やたらはしゃいで渡辺さんたちについてまわっていた。

 馬鹿馬鹿しくかつ寂しく、取り残された私たちは、停泊している船が見える範囲で貝殻を探すことにした。

島には大きな貝殻がゴロゴロしていた。

「これはサラダを入れるお皿」

「これ、灰皿にしたらいいね」

「花瓶にもできるよ」

 みるみるうちに邦子のスカートは、仁が飛び跳ねながら集めてくる貝殻でいっぱいになった。

 そろそろ帰らないと暗くなってしまうのにと思いはじめた頃、渡辺さんたちが戻ってきた。

やはり、貝殻をしこたま抱えている。

 人間考えることは同じなのだ。お皿にしようとか、灰皿にしようとか、美しい貝殻の使いみちに頭をめぐらせていた。

 

 船が帰路について間もなく、水平線まで下りていた太陽が、いきなり、しかも見事にストンと海の向こうにおちていった。そして、あれよあれよと思う間もなく、とっぷりと日が暮れてしまった。

 すると、どこからともなく風が吹いてきて、あたりがざわめきだした。次の瞬間、闇の向こうから黒い波が、まるで海に潜んでいる魔物のように、不気味にうねりながら迫ってきた。

 どんどんせまってくる波に胸がしめつけられ、私は子どもたちを抱き寄せ、静かに目をつぶった。船ごと呑み込まれる瞬間が頭をよぎった。もう、駄目だと思った。

 次の瞬間、「キャー、キャー」という叫び声とともに強い衝撃が体の中を突き抜け、ドサッと、バケツの水を頭から浴びせられたように水をかぶった。

船は大きく揺れている。

 目を開けると、船は水浸しになっていた。とりあえず助かったのだ、とほっとして闇を見つめなおした。

 波はあきらめることなく次々に生まれ、迫ってくる。今度こそ、今度こそ呑み込んでやる、とうなりながら黒い背中を丸め、先を争って襲ってくるようだった。

 また、おおきいのが来たら駄目かもしれない。ああ、神様、どうかお助けください。

私はどこの神様でもいい、どの神様でもいい、助けて欲しいと心の中で真剣に祈り続けた。

もう、喋る者はいなかった。喋る気力もなかったが、濡れた体に風が当たると、寒さでガクガクして歯が合わせられず、喋ろうにも喋れなかったのである。こんな目に遭うとは誰も予想していなかったので、着る物は昼間の暑さに合わせていたから寒さをしのぐ術もなく、ただ震えながら体を丸めて、無事に時が過ぎていくのを待つしかなかった。

 

どのくらい進んだろうか。やっと、

「着いたぞぉ」

と、船主が叫んで船が止まった。

 あたりは真っ暗で何も見えない。が、遠くに淡くポツンと見える灯は、私たちが泊まっているホテルのような気がした。

「降りて、降りて」

 また、船主が言った。そして、船べりで小さなランプを高々と掲げている。私は唖然として、

「歩くの?」と、訊いた。

「ああ、珊瑚があってこれ以上進めないんだ。船底を壊しちゃうからな。あの灯が見える所まで歩けばいい。さほどかからんよ」

「私に掴まって。さぁ」

 船主が喋っている間に、付き添ってきた丸顔で縮れ毛のホテルのボーイが、先に海に飛び込んで、手を伸ばしている。

 行く手を眺めると、黒い鉛の絨毯が、闇と一体になって続いていた。

 この海を歩いて渡れというのである。何と無茶な。私一人ならともかく、子どもは溺れて死んでしまうではないか。

 ボーイは早く降りろと、促すように伸ばした手を揺すっている。

 私は腹が立って、船主に噛みついてやりたかった。しかし、そうしたところで現実に船は動かないのだから無駄なのである。

仕方なく、もし、邦子が溺れそうになったらおぶってでも渡り切ろう、そう決心して海へ飛び込んだ。

 夜の水は、ねっとりと肌にまとわりついてくる。

仁が降りてきた。水深は胸のあたりでおさまりそうだ。いくらかほっとして仁の腕を掴み、もう一方の手を邦子に伸ばすと、邦子はかいがらでパンパンに膨れ上がったスカートの裾をつまんで、甲板の上でオロオロしていた。

「貝はもういいから」

 私の声で思い切ったらしく、スカートの貝殻をかなぐり捨て、私めがけて飛び込んできた。

 水は邦子の顎の下まできていた。海底の具合によっては、つま先で岩を蹴って体を浮上させないと息が出来ない。

「奥さん、大丈夫ですか?」

 ボーイは左手でランプをかざし、右手で私の手を握ろうとした。ムッとした。

「私はいいの!子どもの手を掴んで!」

 私は頭に血がのぼっていた。

 ボーイはしおしおと仁の手を握り、高々とランプを掲げて、私たちの足元あたりの水面を照らした。

 黒い水が透けて、水の中で邦子のスカートがクラゲのようにふわふわと漂っていた。

 歩き出すと、珊瑚の岩は堅くて痛い。しかもぬめっていて、ゴム草履をはいていても、ズルッと抜けて足の甲に乗ってしまうのだ。

足がゴム草履をはいているのではなく、ゴム草履が足をはいているようなものだった。それでも足をきるといけないからと思い、飽きずにはくのを繰り返していた。

 夢中だったせいか、かなり歩いてからだったと思う。

いままで気付かなかった渡辺さんたちの黄色い騒ぎ声が聞こえてきた。振り向くと、ランプの灯を遮っていくつもの影が揺れている。

まだ、船のあたりにいるようだ。ジャカルタ男がついているから大丈夫だろう。

 私は、私にならって振り向いたままでいる邦子を引き寄せ、さらに黙々と歩き続けた。

 海岸にたどり着いた時には、後ろを振り返る気さえ起らなかった。ずぶ濡れで、鼻緒の切れたゴム草履をぶらさげ、裸足ではいつくばっている私には、温かい風呂以外の事は考えられなかった。

 ところが、不運には不運が重なるものだ。

ホテルに着いて、さあ、熱いお湯を、と縮れ毛のボーイに頼むと、彼はすまなさそうな顔で

「ここにはたくさんのお湯を沸かす設備がないんです」

と、首を振った。

 私たちはうなだれて、冷え切った体に冷たい水をかけて海水を流し、それからベッドに転がった。

 

この数か月ご後、照子さんから一本のテープが送られてきた。

添えてあった手紙には、アロール島の役人が話していた昔話を偶然録音していたので役立ててください、とあった。

 

 

    人間と海と火

 

 

 むかし むかし おおむかし。

まだ アロール島が 今より もっと小さい島だったころ 海と 人間は 仲良く 暮らして いたそうな。

 島には 人間が ちらほら 住んでいた。

その島の 真ん中には 小さな 丘が あって フィタールと ベンペップという名の ふたりの息子が 父親と 暮らしていた。

 ベンペップは 畑しごとをし、フィフタールは 魚をとって 暮らしを たてていた。

 そんなある日 フィフタールは 海に “うけ”を しかけた。

いつもは 魚が 何匹も かかっているのに その日は トウモロコシが ころっと一つ 人間を 馬鹿にしたように 入っていた。

「海のやつ 人間を 馬鹿に しやがって」

 フィフタールは むかっとして 父親に その事を いいつけた。

 すると 父親は 顔を 真っ赤にして

「よくも 俺たち人間を 馬鹿にしてくれたな。クソッ 海のやつ 見ていろ 焼きはらってやる」

と、どなった。そして 火を そそのかして 海に 火を はなった。

切り絵:井出文蔵先生

 

 海は ぼうぼう 燃え 岩々は 真っ赤に やけ 海の水は どんどん 天にのぼり 白い雲に なっていった。

 そうなると 海も 黙っちゃいない。

むきになって ドボン ドボンと 波を おこした。

 あわてた 父親と 息子らは せっせ せっせと 珊瑚を あつめ 島のまわりに どんどん つみかさねた。

 ところが ぼうぼう 燃えていた 火のほうが どぼん どぼんと せめてくる波が こわくなって 天へ 逃げ かくれてしまった。

 火が いないことには けんかは できない。

 それからというもの 海と 人間は けんかを やめて 仲良く暮らしたそうだ。

 ところで 父親と 息子らが 積みあげた 珊瑚は 今では 岬になり 天へ 逃げて いった 火は 稲妻に なっているということだ。

 

          話し手:アロール島の役人(1988年)