インドネシアの昔話を求めて(九)

渡辺さんたちと空港で別れて、私たちはサウ島へ向かう双発プロペラ機に乗った。

 飛行機は、ひどいものだった。

錆びついた外壁、破れかかった座席、ボデイに描かれている“ヌサンタラ エアラインズの文字まで薄汚れていた。

ここの人たちにとって料金が高いせいか、十二、三人乗りのこの飛行機には、私たち以外に三、四人の乗客しかいなかった。

誰も、これから始まる恐怖飛行に備えて覚悟をきめているかのように、凝然と目をつむったままでいる。

そして、それらの乗客とは対照的に、操縦席のフロントガラスに、日除けのために貼られた新聞紙の上で、大きな蠅が数匹、あちこちに飛び交っては後ろ足をすり合わせ、くつろいでいた。

離陸してまもなく、座席のクッションの悪さにも閉口した。

上昇したり下降したりする度に、板のような座席の上で、前につんのめったり後ろに引っ張られたりした。そのひどさは、バリ島からスンバワ島への飛行機の非ではなかった。

 ブルンブルンと唸るエンジン音が尻に下まで響きわたり、その度にめくれた内壁がたよりなくペラペラと動く。

そら恐ろしくなって、ペラペラしている内壁をそっとめくり上げると、断熱材が見える。と、いうことは、その先は、あの錆びついた鉄板の外壁ということになるのではあるまいか。見下ろせば、鱗のような波が点々と規則正しく青い海に広がっている。

 私も他の乗客と同様に、前の座席にかじりつきながら目をつむっていることにした。

 

  一時間後、ドォンと尻を突き上げる衝撃音とともに目の前に広がっていたのは、空港ではなかった。ただ、一本、地ならししただけの滑走路があるだけで、あとは何もなかった。

 遠くの方に止まっていた家畜を運ぶ板張りのトラックの荷台から、人がこぼれるように降りて駆け寄ってきた。

 呆然と出口に立っていると、後ろにいた乗客の一人が、出口の横から勝手に自分の荷物を取り出して私を追い越し、ふらつきながらタラップをおりていった。

 どうやら自分の荷物は自分で探し当て、勝手に持って行っていいらしい。

 みんなに先を追い越され、自力で何とか重いトランクを降ろした私は、地面に立ってみたものの、一瞬、足がすくんでしまった。

 エライ所に来てしまった・・・・・。

この島の妄想がパチンとはじけ、目の前に広がる現実の風景が不安と化して、私の身を震わせた。

 干上がった川底のような痩せた土地に、しがみつくように生えている灌木。こんな所に宿屋なんて気の利いたものがあるわけがない。

食べ物を売っている店だってありはしない。

野宿をするのは覚悟していたつもりだが、まさか、こんなにもひどいとは。

 ここの人は誰も、私たち親子が、まるで透明人間であるかのように、声もかけず、関心すら示さず、私たちのそばを過ぎていった。

 私は、子どもを連れてきたことを後悔していた。

「町へ行くのですか?」

 一人のサングラスをかけた青年がたっていた。私が思わず頷くと、

「それならここで待っていてください。すぐオートーで迎えにきますから。宿屋、探しているんでしょ」

 青年はそう言い残して何処かへ消えていった。

 あのトラックの荷台に飛び乗って町へいったのだろう。町、あの青年は町とか宿屋とか言っていたが、こんな荒地の島に町や宿屋なんて言えるものがあるのだろうか。この景色から想像して、町とは言えない町であろう。それにしても、何故あの青年だけが私たちに声をかけたのだろうか。

 私がぼんやりと立っていると、仁が言った。

「お母さん、さっきのサングラスの人、飛行機の中でずっと俺たちのこと見てたよ」

 ああ、それで声をかけてきたのかと思った。

 トラックが止まっていた辺りに、わずかに葉をつけた瘤だらけの木があった。その下で老人が一人、地べたにべったりと腰を下ろしていた。

私たちはそのわずかな木陰にすいよせられるように、老人と並んで座った。

 風が熱い。

 乾いた熱い風に身をさらしながら、老人はビンロージュの実を噛んでいた。真っ赤に染まった口だけを動かし、遠くをぼんやり眺めているだけで何も言わない。

 何故こうも、ここの人たちは私たちに無関心なのか。あの青年には私たちが見えたのだから、この老人にだって外国人がいるぐらい分るだろうに。それとも外国人なれしているのだろうか。

 私には皆目見当がつかなかった。

汗が胸のくぼみから一度に噴き出し、下半身に流れていった。

とにかく暑い。こんな時は暑さに逆らわずに浸るほうがいい。

老人と私たちだけになった荒地の空港は、しんと静まり返り、熱い風が吹くたびにわずかな木の葉がサワサワと音を立てて響いていた。

 

トイレで見つけた島に今、私はいる。

あの、ちっぽっけな島がここだったのだ。

しかし、私は何故ここに来たいと思ったのだろう。こんなことをしなくても生きていける筈なのに、何故だろう。昔話を聞きに行くと思った時、何故あんなにも心が踊るようにエネルギーが湧いてきたのだろう。

夫は、

「俺には分らない。」と、言った。

「俺が女房なら、ピカピカに床を磨いて亭主の帰りを待つよ」とも言った。

 私は、古い因習にとらわれた集落にある家に育った。

幼い頃の記憶の中に、女であるがゆえに非人間的な扱いを受けた日々が消えずに残っている。母もそうであったし、祖母もそうだった。一家の経済を握らされることなく、ただ、“家”のために、きつい労働に耐えていた。それが美徳だと教えられ信じて、本当の心を押し曲げ、歯をくいしばって生きていた。

 私のなかには、母や祖母のように生きようとする私と、そうじゃない、生き生きと生きたいと願う二人の私がいる。

 母や祖母の生きてきた状況がどうあれ、前者の私でいると安心感があるのだが、そうなると後者の私がヒステリックに怒り出す、「私が生きているんじゃない!」と。

 今、私は後者のわがままな自分にしたがってここにいる。

不安である・・・・。

 

「奥さん、乗っててください」

振り向くと、サングラスの青年だった。

来てくれたのだ。

青年はバイクにまたがったまま、後部シートを視線で示している。

私はこの時まで、オートーとはてっきり、オートモービル、つまり乗用車だと思い込んでいた。

日本ではないこの地で、そう思い込んでいた自分が可笑しかった。

 実際、この島には家畜を運ぶトラックが数台あるだけで、乗用車なんてものはなかったのである。

「で、でも・・・」

 私は、リュックを背負い、トランクを抱えて、このガタガタ道をバイクで走るのをためらっていた。

 ところが相手は私が遠慮していると勘違いしたらしく、男とは思えないほど穏やかでやさしく丁寧に、しかも小声で

「お子さんを先に。奥さんは後で。すぐに戻ってきます。心配はいりません。大丈夫です。さあ、ここに掴まって。いいですか?坊ちゃん、嬢ちゃん」

 不安を感じながらも自分の第六感を信じて、この青年を待ってみようと思った。

 しばらくして、青年は言葉どおり土煙をあげて戻ってきた。

青年の姿をみると、ほっと安堵感が私の中にひろがった。

私は、重いリュックを背負いトランクを抱えて後部シートにまたがった。

「お願い、ゆっくり走って」

インドネシア人はハンドルを握ると、人柄ががらりと変わってムチャクチャ飛ばすことが多いと前にも述べたが、中でもスンバワ島のアレックスはひどかった。その時の恐ろしさが尾を引いていた。

青年はやさしく頷き、ゆっくりとバイクを走らせた。

雨季の激しい雨が土や岩を押し流し、そのままの状態で乾季を迎えるこの土地は、毎年様相をかえているのだろう。道路はうねり、いたるところ、大水で流された痕跡が残っていた。

 そのような場所にさしかかるたびに、衝撃でバイクが揺れ、私の尻がずれた。バランスを崩すといけないと思い、必死にこらえているうちに、幼い頃、父が、母と兄と私をバイクに乗せて土浦の七夕まつりに行った時の記憶が蘇っていた。

 

父は六キロの道をバイクで二往復して、三人の人間を運搬したのだが、二度目の運搬に、私は座布団をくくりつけた燃料タンクの上にまたがり、母は後部シートに荷物抱えて乗っていた。

道はガタガタの砂利道で、至る所にタイヤがはまりそうな穴があった。そんな穴にはまったり、大きな石に乗り上げたりするたびに、強い衝撃が尻から脳天へ突き上げ、尻がずれた。次の衝撃でうまい具合に尻の位置が元に戻ればいいのだが、なかなかそうはいかない。

こらえきれなくなって体を動かすと、父がエンジン音をしのぐ大声で、「バカ!」と怒鳴るのである。

この時母は、落ちて死んでもいいと思って乗っていた、と後になってこぼしていた。

 地理的にも、気候的にも、ここは私が生まれ育った環境とは違う。

しかし、それを取り除いても非常に懐かしさを覚えるのはなぜだろう。

 しだいに私は、陽が傾きかけたこの風景の中で、かつて生きたことがあるような気さえしていた。


   

 

 サングラスの青年が言っていた町は、セバという狭い地区で、海辺にちかく、粗末で小さな家が寄り添うように建て込んでいた。

 そして、青年が連れて行ってくれた宿屋とは、普段は雑貨屋を営み、客があれば泊めるといった形態のもので、薄暗い奥から出てきたのは、がっしりとした体の、眉毛の濃いアラブ人だった。

 サングラスの青年、ファイサルの話では、彼がここの旦那で、第二次世界大戦以前に、この島で生まれ育った女性と結婚し、ここに住み着いたのだということだった。そしてさらに、

「私も中国人の血をひいているんです。でも、この島の人たちはみんな、仲良しです。セバの人たちは、ほとんどがイスラム教徒ですから」

と、遠慮がちに静かに喋った。そして、「また、来ます」と付け加えて帰っていった。

 部屋は、八畳ほどの広さで、両側にダブルとシングルのベッドが、蚊よけのためのレースでとっぷりと覆われてあった。

天井には、小さな裸電球がかすかな明かりをはなっていた。

それでも電気がとおっているんだ、と感心していると、夜の八時までだと旦那に言われた。この家は自家発電機で発電しているから、燃料節約のために八時には電気は消してしまうということだった。

 それにしても、私は疲れていた。

ティモール島で海の中を歩いた晩あたりから、体の調子がかんばしくなかった。下痢と暑さで、体中のエネルギーが底をついた感じだった。

 

 早々とマンディ(水浴)をし、歯磨きも風呂の水でしたらいいと言うおかみさんの指示に従ってさっさと済ませ、ベッドに横になっていた。

 仁は用心深い子どもである。

大人の私が見逃してしまいそうな事柄を、私の陰から観察してズバリと言ってのける、いわば私にとってはごまかしのきかない脅威となっている。

その仁が、

「お母さん、風呂の水で歯磨きしたの?」

と、妙なことを聞くのである。

当たり前のことを。ここは日本じゃないんだから、さっきも言ったでしょう、あの水で我慢するの。ここのおかみさんが大丈夫と言っているんだから、大丈夫なの、云々、と面倒くさそうに返事をして目をつぶっていた。

しかし、仁はさらに、

「だってボウフラがたくさん浮いているよ。俺、最初は違うかなと思って、ガシャガシャって水をやってみたら、ボウフラがチクチクチクって沈んでいった。風呂、入れないよ」

「あたしも見た。ボウフラだった」

 邦子が付け足すように言った。話の半分で、私は寝ていられなくなった。風呂場に懐中電灯を持っていって、水面を照らしてみた。

丸い頭がぞっくりと並べて浮いていた。まぎれもない、日本のボウフラと同じボウフラだった。

 私はこのボウフラを体にかけ、シャンプーをし、歯磨きまでしてしまったらしい。

「もしかしたらここにくっ付いているんじゃない?見て、見て」

 私はまだ濡れている髪の毛を指でかき分け、仁の顔先に頭を突き出した。

「別についてないけど、ボウフラのうんことか小便は付いているんじゃない」

 仁の言葉を肯定するように、邦子はそばで頷いている。

「ねぇ、よく見て。ここは暗いから見えないのかもしれないから、窓のとこ行くから見て」

「いない、いないよ。やだよ、あたし、お風呂入らない」

 邦子はふてくされて、ベッドの上に体を放り出した。

「ハハハハハ・・・・ボウフラの一匹や二匹、食べたって。くっ付けたって、たいしたことじゃないよ。ハハハハハ・・・」

カラカラと笑ってごまかしてみたが、二人はふてくされたままだった。しかたがないので、

「だけど気持ちが悪いよね。慣れてないもの」

と、折れて返してから、ティモール島から野宿を覚悟して持ってきていたミネラルウォーターで口をゆすいだ。

それから、井戸の水でマンディしたいから使わせて欲しいと、おかみさんのところに掛け合いにいった。

 おかみさんは、彫りの深い顔を怪訝そうに曇らせて、何故と訊く。私はボウフラというインドネシア語を知らなかったので、

「蚊の子どもがたくさんマンディする水の中にいるの。だからマンデイも歯磨きもできない」

と説明した。

しかし、おかみさんは、少しも驚かない。それどころか、それがどうした、という雰囲気で

「大丈夫だよ。私だって、うちの亭主だって、子どもだってやっているんだから」

と、引かないのだ。

おかみさんを傷つけるわけにはいかないし、だからと言って、ハイそうですか、と言いなりなる気はこの場に及んで更々ない。すったもんだしながら、私はありとあらゆる言い訳を並べたてていた。

「・・・・でも、私の子どもたちは、ボウフラの水に慣れていないから病気になったら・・・」

 鋼鉄のおかみさんの心が、「こども」という三文字で揺れた。

「あたしもねぇ、子どもが病気になった時は、あたしが病気になったようで・・・本当に母親は辛いもんだよ。東京なんて所に住んでいるんじゃ、ここの水には慣れてないねぇ。あたしも娘を一人亡くしているから、心配するのは分るよ。怪我したり、具合が悪くなったりしたら言っておくれよ。あたしゃ、奥さんを見た時から娘が来たと思っているんだから。ママと呼んどくれ」

 ママとなったおかみさんは、しんみりとそう言って、黒いプラスチックのバケツを二つ、奥から持ち出してきて井戸端に置いた。

「ジョウトウ、ジョウトウ。ココワオク二ノナンビャクリ〜。昔、日本の兵隊が教えてくれたんだよ。イチ、二、サン、シ、ジョウトウ、ジョウトウ」

 おかみさんママは、威勢よく歌いながら、竿先に付いている小さいプラスチック製の黒バケツを井戸に落とした。いわゆる、つるべである。

しかもつるべと反対側の竿先には、昔、母の実家にあった竿つるべと全く同様に、石ころが数個、器用に括りつけられてあった。

 その向こうに、椰子の木々が月明かりの中で天を仰ぐように立っていた。

 それはまるで母の実家で見た風景とまったく同じだった。

「さあ、これでいい」おかみさんは、井戸から汲んだ水の入ったバケツを両手で持って風呂場に運んでいった。