インドネシアの昔話を求めて(十)

旦那やおかみさん、それにファイサルにも、私はここに昔話を聞きに来たのだから、話のできる人がいたら教えて欲しいと宣伝しておいた。

しかし、脳のどこかの神経がきれてしまったかのように、丸一日半、私は泥のように眠っていた。

子どもたちは日本から持ってきた缶詰や菓子などを仕方なく食べて、井戸のまわりで痩せこけた鶏を玩具にして遊んでいた。

訪ねてくる者もいない暑い部屋で、肌の白い外国人の子どもにすら興味を示さないこの島の人たちは、まったく変わっているな、と思いながら、遠くから響いてくる昼間の雑音を夢うつつに聞いていた。

「奥さぁーん、奥さぁーん」

 一日半たった昼下がり、おかみさんの声がした。眠そうな顔で扉を開けると、

「ずっと寝ているみたいだから声をかけなかったんだけど、夕飯作ったらいいかね?この島はからっからに乾いているから、野菜があまりとれないんだよ。だけど、わたしゃ、料理がうまいんだ」

「ええ」

 そう返事をした時、表の通りから、六歳か九歳くらいになる少女がふたり、たきぎを背負って入ってきた。よれよれの衣服をまとい、髪の毛も櫛をとおしたことがないと思えるほど絡み合ってぱさつき、裸足だった。

 ふたりは、おかみさんの見下すような態度にも顔色ひとつ変えずに、静かにたきぎを下ろして、数十円の代金を受け取り帰っていった。

 聞けば、ここから五キロほど離れたリアエという原始宗教を守っている人びとが住む地域の少女たちで、学校も行かずに山でたきぎを拾い、売り歩いているのだそうだ。

 私が少女たちに十分な興味を示すと、おかみさんは得意げにその部族の話をし始めた。

「ジンギティウ(原始宗教を固守している人たち)は、満月の晩、あっちの丘と、こっちの丘に分かれて、石の投げ合いをするのさ。血を出して家に帰る者も出るけど、そりゃあ、賑やかなものさ。ワイワイ言いながら、いつまでもやっとるよ」

 私のなかで眠っている血がざわついた。

似ている。確かに子どもの頃にやった石投げに似ている。

雪入地区の子どもと佐谷地区の子どもが道路上で石を投げ合ったことがあった。お互いに対抗意識はあったが、それがもとで喧嘩になり、石を投げ合ったわけではなかった。誰かが石を投げたのがきっかけで、バラバラと投げ合いだした感じだった。

 私は不思議な気持ちになっていた。

おかみさんが、井戸端の方へ行ってしまうと、私はまた、ベッドの上に転がっていた。

 なぜ、石を投げ合うのだろうか。

ここでは、それが儀式の一つになっている。

 祖母は私や兄が悪い事をすると、尻をたたいた。

“たたく”あるいは“たたき出す”という行為と石を投げる行為は同じではないか。布団をたたけば埃が出るように、体の中にとりついた悪い霊を追い払う行為だったのではないだろうか。

 私たちの先祖たちは、人は悪い霊にとりつかれて悪いことをすると考えていた。それを取り除くには、より堅いものでショックを与えた方が効き目は大きい筈である。

 日本には、節分に豆をまく習慣がある。

豆に当たって鬼は逃げていく、と子どもの頃教わった。この習慣の原点が、この島の“石の投げ合い”にあるように思えてならない。

 そんなことを考えながら、私はおかみさんの手料理を待っていた。

 

 夕闇がせまっていた。

 小さな窓越しに人影がふたつ、みっつ通り過ぎていった。

それからピーピーと口笛が鳴り、「ジィーン、ジィーン」呼ぶ声がした。

 息子の名前を知っている者はここにはいない筈だ。

 自分の耳を疑りながら、扉を細く開けてみた。

痩せた、利発そうな顔つきの、この宿屋の息子が立っていた。

「あのう、ジンを遊びに連れて行っていいですか?」

 宿屋の息子の後ろから、仁がひょっこり顔を出した。

「ねぇ、ねぇ、お母さん。何て言っているの?」

「仁を遊びに連れて行きたいって。でも、心配だな」

「俺、行く。ねぇ、行くって何て言うの?何処へ行くのって何て言うの?」

 邦子も顔を出した。

「あたしも行く。仁兄ちゃんと行く。この部屋ばかりだと飽きちゃうもん。行ってもいいでしょ?」

 確かに。仁も邦子も、親の計画と体調にふりまわされている。自由に動きたいというのは当然のことだ。それに、自分たちは透明人間ではないかと感じてしまうほど、この島の人たちに無視されている。もしかしたら、少年のこの誘いが、島の人たちとの間にある垣根をとりはらってくれるかもしれない。

 「いいよ。でも、一時間したら帰って来て。心配だから」

 わたしは仁と邦子にそう言ってから、同じ事を少年にも繰り返した。

 仁は悪戯っぽい目を輝かせて、リュックサックの中から鉛筆と紙切れを持ち出した。そして、それに、ボクノ ナマエハ ジン、ボクモ イク、カエロウ、というインドネシア語を私から聞いて記し、ポケットにつっこんだ。

「ニコ、いくぞ」

二人は弾むように出かけていった。

 一時間後、少年はきっちりと時間を守り、仁と邦子を相手にふざけ合いながら戻ってきた。どうやら仁は日本語をしゃべり、少年はインドネシア語で答える、あるいはその逆といった具合で、雰囲気で会話を楽しんでいたようだった。

 仁の話では、三人は表で待っていた五、六人の子どもと一緒に、空気銃で蝙蝠を撃ちに行ったというのだ。

「怖かったぜぇ、お母さん。蝙蝠の額にバシッと弾が当たって、たらっと血が出て、落っこちるんだ。残酷だよ。でも、面白かったなぁ、ニコ」

 仁はいかにも残酷そうに、両目をぎっしりとつぶって残酷さを強調してみせた。

 そして、邦子は

「あたし、怖かった。ここのお兄さんが木からぶら下がっている蝙蝠をバァーンって撃ったの。それから、他の誰かが木に登って、蝙蝠がぶら下がっている木を揺さぶったの。そしたら蝙蝠が落っこちてきて、キィーキィーって泣いてた。目は可愛かったけど、顔は狼みたいで気持ち悪かった。いつまでもキィーキィーいっているだけで、飛ばないんだよ。そしたら誰かが棒を持ってきて、蝙蝠の頭をコツコツって叩いたの。あたし、怖くって、こうやって耳をふさいで見ないように丸まってた。そしたら、バァーンって音がしたから手をはなして見ると、蝙蝠が死んでた。怖いよう」

 邦子はそう言って私の腕にしがみついてきた。

 仁や邦子が育っている日本の環境は、醜いものや汚いもののすべてが巧みに覆い隠され、まるでこの世は美しさだけで出来上がっていると錯覚をおこさせる。しかし、本当の怖さは、覆いかくされたものが腐敗し、どす黒く変化した時にあることを知らない。

そんなふたりにとって、蝙蝠を殺すという残酷さは、マンガやゲームの世界では存在しても、現実の世界では存在しないし、存在してはならない行為として覆いかくされている。

だから、何の覆いもないこの島の現実にうろたえているのだ。

 

 その晩、ふたりの子どもたちにとって、さらにショックな出来事が起こった。

井戸端に近い建物の一角が食堂になっていた

白ペンキを塗ったブロック壁で囲まれた土間に、雑に作られたテーブルと長椅子があった。天井は低く、梁にはわせてある裸電球が鈍く光っていた。

「さあ、どうぞ。全部食べちゃっていいんだよ。お腹、すいたろう」

おかみさんは、私たちが食卓についたのを確かめるように顔を出し、また奥へ引っ込んでいった。

「食うぞぉ」

 仁も邦子も、食べることに張り切っていた。

何しろここ二日間、ティモール島から移動中だったり、何とか寝る場所が見つかっても母親は寝てばかりいたので、ろくなものしか食べていなかった。

 テーブルの上には、蓋つきの金属製のおひつに入ったご飯と、油で揚げた鶏肉と菜っ葉を香辛料で煮込んだもの、それに革をむいたキュウリを、ただ単に切ったものなどが並べられてあった。

 まず、ご飯からいただこうと、皿を手に持って、おひつの蓋をとった。

 仰天した。

 白いご飯が見えなくなるほど、茶色の胡麻のようなもので覆われていた。しかも、動いている。

「何だ、それ?」

「蟻?」

 暗くて良く見えないので、仁が立ち上がって顔を突き出し、おひつの中を睨んでいる。

「やっぱり、蟻だ。蟻だよ、お母さん」

 よく見ると、それは茶色の小さな蟻だった。御飯のわずかな甘みを求めてたかっていたのだった。

 どうしたものか、おかみさんに話して別のものと替えてもらおうか、それとも、蟻をよけて中をほじくって食べるか、一瞬ためらったが、結局、おかみさんに話すことはやめにした。

 蟻がたかっている、それは、人間にとっても害が無い証拠だと思い直したからである。

 それに、石でも馬でも食らいつきたいほど私は腹が減っていた。

「蟻がいるってことは、食べても大丈夫ってことよ。生き物は敏感だから、自分に害のあるものは食べないもの。

お母さんが小さい頃、よく蟻が長い行列を作って、お砂糖を舐めに来ていたよ。そのお砂糖、おばあちゃんは捨てないで使っていたもの。だから、大丈夫だよ」

 私は子どもたちの皿にご飯をよそり、それに鶏肉、キュウリを添えて差し出した。

 私の話に納得したからか、それとも私と同様に空腹に耐えかねたからなのか、わからなかったが、子どもたちは黙々と食べだした。

「おいしい?」

 こってりと煮込んだ鶏肉は、少し痩せ気味で固かったが、香辛料がきいていて案外美味しいと感じた。

「うまい。鶏肉がうまいよ。なぁ、ニコ、うまいだろう?」

「ほんとに美味しいね、この鶏肉。ちょっと固いけど」

「お母さん、ここのおばさんに教えてもらって、日本に帰ったら作ってよ。お母さんは料理が下手だから、もうちょっと勉強すればいいんだよ」

 細くて小さなもも肉は固くて、フォークとナイフを使って上品に口に運ぶのは困難だった。

 それでも最初のうちは、三人とも頑張っていたのだが、そのうち誰からともなく取り出したポケットティシュで骨を掴み、かぶりついて食べていた。

 次の日の朝、この称賛された鶏肉が、仁と邦子の脳裏に消すことの出来ないショックな出来事として、刻まれることになったのだった。

 二人の話によれば、私が疲れ切って眠ってばかりいた間、井戸端で、放し飼いにされていた鶏を相手に遊んでいたのだという。

 その五、六羽いる鶏に、二人はそれぞれ名前をつけたという。中でも、足がピンク色をした一番ひ弱で、他の鶏にいじめられている小さな鶏を、ピンクちゃんと名付けて、特別可愛がっていたらしい。

ところが、朝になって昨日と同じように鶏と遊ぼうとしたら、ピンクちゃんがいない。他の鶏はいるのに。どうしたのだろう。

二人はあちこち探したが、みつからない。

がっかりして、ふと、ピンクちゃん抱いて座っていた切株の上を見ると、ナタではねられた小さな鶏の足首が二本、転がっていたというのだ。

 それがピンクちゃんの足だったことは、私が言うまでもなく、二人は十分に理解していた。

 人間が食しているものは、自分たちと同様に生きているものを殺すことから成り立っている。知識として知ってはいたが、それを目の当たりにし、しかも、知らなかったとは言え友だちを食べてしまった事実に直面し、二人は青ざめた顔で沈んでいた。

 そして、そのことで少しも動揺せず平然としている私にむかって、冷たい、と怒っていた。

 私は、敢えて、何も言わなかった。