インドネシアの昔話を求めて(十二)

 

 

 その晩、チィチィの言っていたとおり、ファイサルが中肉中背で五十はとうに越している男と宿屋にやってきた。

 パラドである。

 パラドに限らず、この島の人たちは日本人にそっくりの容貌をした人が多い。特にパラドは、それが顕著で、その浅黒い顔をいくらか黄色にしたら、どう見ても日本人という感じがした。

 パラドは気難しそうな顔でゆっくりと腰を下ろしてから、少し間をおいて重い口を開いた。

「昔話を知りたいということじゃが・・・・」

 その後は、唇ととがらせ、戻して、それからじっと足元を見つめ、何かを考えているようだった。

 私が喋っていいものかためらっていると、ファイサルがまるで腫れ物にでも触るように小声で

「パラド、昨日もお話しましたが、奥さんは日本から坊ちゃんと嬢ちゃんを連れて昔話を聞きに来たんです。おとぎ話とか、歴史話とか、慣習法の話とか・・・パラド御存知ですよね?」

 すると、パラドはにわかに表情をやわらげ、

「ああ、だから白い肌のちんこいのが表でチョロチョロしておったのか。ふぅん、そうか、そうか。ここの連中が大騒ぎしとるんで、わしも表に出て見たんじゃ。そうか、そうか。可愛いものじゃな」

 そう言って軽く膝を叩いた。

 ファイサルは、ほっとしたように息をついた。

「で、パラド、昨日は知っている話があるとおっしゃっていましたが、話していただけますか?」

 丁寧に話を昔話にもどした。

 私も思わず、ここぞとばかりにファイサルと一緒になって頷き、懇願した。

「話は知っとることは知っとるが・・・ただ、怖いんじゃよ」

 ファイサルはパラドの言葉の意味を納得しているようだった。

 しかし、私は一体何が怖いのかがさっぱり見当がつかなかった。

 昔話を話すくらいのことで、怖がる理由など何もないではないか。

もしかしたらこの男、話をしてやるから礼金を出せ、と遠回しに催促しているのかもしれない。はっきり言えばいいではないか。ギブ アンド テイクなのだから。

「そりゃ、まあ、日本から来たんじゃから、話すのは話すが・・・・

話といっても、いいかね奥さん、歴史話、おとぎ話、それに慣習法の話とあるんじゃ。この島の歴史話とか慣習法の話になると、話す前に、牛、羊、山羊、豚、それに鶏を殺して、生贄として神に捧げなくちゃならんのだよ。そうしないと、わしらに災いが及ぶんじゃ。わしは今クリスチャンじゃが、それでも怖い。じゃから、話を聞くには金がかかる。じゃが、今日は一つだけ話してもいいがね」
「パラド、ありがとうございます。奥さん、テープレコーダーをセットして。私はノートに書きますから」
 ファイサルは、まるで自分のことのように喜んで、片手でノートを広げ、いつ話し出してもいいように、もう一方の手には鉛筆を握りしめていた。
 しかし、慣習法に関しての知識が浅く、すべてが金に換えられている社会に馴染んでいる私は、「金がかかるんじゃ」と言ったパラドの言葉に敏感に反応していた。
「お礼のお金は支払しますから」
 私は、当然のこと、あるいはそれ以上に礼儀正しいことをしているという自意識でそう言ったのだった。
 すると途端に、パラドは血相を変えた。
「わしは、奥さんと友だちになるならずっと付き合っていきたいと思っている。奥さん、奥さんは金というものがどういうものか分かっとるかね。金というものは便利なものだ。じゃが、金は人間と人間の関係を絶ち切ることもする。人は何かしてもらったり、何かしてやったりする。これが当たり前のことだとわしは思っとる。じゃが、ここに金がはいると、その人間関係は金にきられてしまうんじゃ。そうなりゃ、気楽なもんじゃ。そして、人間関係は薄っぺらなものになってしまう。わしは、それがきらいなんじゃ」
 私の顔を覗き込んでいるパラドの目は真剣だった。
 体中の血液が顔面に集中していくのが感じられた。私は、恥ずかしかった。そして、「ええ」と、小さく頷くのが精一杯だった。
 パラドは凛として、穏やかに話し出した。
「この島はサンゴ礁で、山や丘ばかりで、畑に出来る土地は島の三分の一にすぎない。雨季は十一月から四月までで、残りの月はカラカラに乾いた乾季になる。
 ふつう、デサ(村落共同体)、パガール(垣根)で囲まれていて、デサとデサの境界はいいかげんなものじゃ。境界は畑の場合が多いんじゃが、そうなると、いさかいが起こる。
 ところが、ここは、ちょっと違う。
 山や丘は、神々が宿る神聖な所と信じられておるし、敵に攻められることも少ない。デサが山のてっぺんにあることが多いんじゃ。
平地や谷にデサがあるなんてことはあまりない。
 水を汲むのも大変じゃ。墓場も、みんな一緒に埋められているんじゃのうて、たいがいは家の前か周りにあるんじゃ。
 今、サウ島にはイスラム教やキリスト教に替えてしまった者もおるが、原始宗教を守っておる者もおる。ん・・・セバ族、ムニア族、リアエ族、ムサラ族、ん・・・それにティム族じゃな。
これらの部族は、それぞれ“聖なる地”を持っておってな、月の満ち欠けをもとにした暦にしたがって儀式をやるんじゃ。ん・・・・
 わしはリアエ族の者じゃから、リアエのことを話すが・・・ん・・・・
慣習法に従って儀式を執り行うラトゥモネピドゥとラトゥモネタルと呼ばれる構成員がおるんじゃ。
 その主だった者は、プロド、デオライ、マウキア、ルエといった者たちでな、それぞれの役割がきまっておる。
 例えば、プロドは、部族全体をまとめる。デオライは雨乞いや風をおさめる儀式をする。そして、ルエは、汚れたものを清める儀式をする、といった具合にな、ん・・・・
 それでな、ワルアア、六月にあたるこの月から一年が始まるんじゃが、八月からの椰子砂糖作りの為にな、この月は部族の者はみんなで薪を集める。
 八月はワルクビラワドゥといってな、長老のプロドが“かまど”を掘り、その前で羊か山羊を殺して、それに米を添えて神々に供えるんじゃ。それから砂糖作りが始まる。部族の者は長老に続くってわけじゃ。
 十月のバカライは、長老たちが山や丘にある聖なる石で、神々に祈るんじゃ。この時も、羊、山羊、豚を生贄にして神々に供える。
それからな、石の投げ合い合戦もする。
丘の上でな、部族の者たちが二手に分かれてやるんじゃが、頭から血出して家に帰る者もおる。それでも夜中に二時頃までワイワイやっとるよ」
 宿屋のおかみさんが言っていた石投げ合戦である。
 私は胸がざわざわして、
「パラド、その、石投げ合戦、日本にもあるんです。石の代わりに豆を投げるんですけど」
と、興奮して口をはさんだ。 
「おお、そうかね。やっぱり祖先は繋がっとるんじゃな」
パラドが、嬉しそうに笑った。

 二年後の1989年、私は偶然にも“石投げ”と“豆まき”の関連を知ることができた。
 それは中沢厚著、“石にやどるもの”にあった。一月十六日付けの朝日新聞を読んでいた私は、「石」という一文字に興味を惹かれて、その本を取り寄せてみた。
 中沢氏は著書の中で、
「ついなは石投げのことである。中略。石投げがついな、現今習いとする節分の豆まきと同意義であること。日本民俗の推移変還をみるうえで大変重要なことである」と、述べている。

 パラドの話は続いた。
「十一月はクジャマといってな、畑の種蒔きがあるんじゃ。そして、ワルニャレの二月には収穫の儀式がある。五月のワルバンガリウラエアエは、部族のそれぞれの家で御馳走をこしらえて、神々に捧げ、その後に競馬と闘鶏が日が暮れるまで行われるんじゃよ」
 私は、慣習法は、法律に匹敵する効力を持つ習わしであるとは知っていたが、その細かい内容について触れるのは初めてだった。
 その独自の、しかも島の言葉が羅列する話を長時間、聞き続けるのは辛いものがあった。当然、質問も出来ず、ただテープを回していたに過ぎなかった。
 宿屋の掛け時計が九回鳴った。
午後六時から始めて既に三時間になる。ファイサルが質問をした。
「パラド、リアエ族にはウドゥ(同じ祖先を系図にもつ集団。胞族)はいくつあるんですか?」
 パラドは煙草に火をつけ、大きく吸い込んでから答えた。
「ん・・・・六つ、じゃな。その中にナダアエというウドゥがあるんじゃが、そこの者でな、昔、ハリジュダという名前の男がおったんじゃ。ん・・・・」
「奥さん、テープ、回っていますか?」
 ファイサルはにわかに慌てだした。どうやら昔話に入るらしい。
 私が頷くと、それを確認してからパラドが続けた。

       
       ハリジュダ

 むかし むかし。
サウ島という島に ハリジュダという名の 浮浪者が いた。
 ハリジャダは 一匹の犬と 一羽のニワトリを 連れて 島の
人びとから 食べ物を めぐんでもらいながら 一年中 あちこちを ぶらぶらと うろついていた。
 そんなある日 ハリジュダが ぶらりと ムサラ村を とおりかかると 村人たちが みんなで どでかい石を 持ち上げようとしていた。
 何をするんだい ときいたら その石を アダ・マヌという所まで はこんでいって 神様の石に するんだという。
 けれども 石は ビクリともしない。
みんなで いくら 掛け声をかけ 力を入れても だめだった。
 そこで そばで 見ていた ハリジュダが 
「おれも 手伝うから この石を 村の衆と おれのものに してくれねえか」
と、村人たちに きいた。

切り絵:井出文蔵先生

 けれども 村人たちは 口々に 
「おまえみてぇな 小汚い 浮浪者を わしらの 仲間に できん さあ 帰った」
 そう言って わき目もふらずに また わっしょい わっしょい 石を 持ち上げていた。
 けれども やっぱり ビクリともしない。
 いくら ふんばってみても だめだった。
 とうとう しまいには 村人たちは へとへとに へたばってしまい 仕方なしなし ハリジュダに 助けをたのんだ。
「石は わしらと おめえのもので いいから 手かしてくれ」
 ハリジュダが 村人たちに 手をかすと 不思議なことが おこった。 
 村人たちが 何人かかっても ビクリとも しなかった どでかい石を ハリジュダは たったひとりで ひょいと 持ち上げ
 アダマヌまで 運んで いった。
 そんな事があって しばらくたった ある日のこと。
また ハリジュダが 犬と ニワトリを つれて ムサラ村を とおりかかった。
 すると、こんどは、村人たちが 汗水たらして えっさ えっさと 井戸を 掘っていた。
 ところが 掘っても 掘っても 一滴の水も 出てこない。
それでも 村人たちは ガリガリ ガリガリ わき目もふらずに
掘りつづけていた。
 そばで見ていた ハリジュダが また 
「おれも 手伝うから 井戸は 村の衆と おれのものに してくれねぇか」と きいた。
 けれども 村人たちは 
「おめえみてえな 小汚い浮浪者 わしらの 仲間にはできん 帰った 帰った」
 そう言って ガリガリ ガリガリ 掘りつづけていた。
 すると ハリジュダが 言った。
「そうかあ そんなら この井戸から 水は 一滴も 出てこねえ」
  村人たちは きゅうに 心配になって 手を とめて どうしたものかと コソコソ 相談を はじめた。
 そして 仕方なしなし  井戸は 自分らと ハリジュダのもので いいと 承知した。

切り絵:井出文蔵先生

 すると どうだろう。
今まで 掘っても 掘っても カラカラだった 井戸の底から にわかに 水が 湧き出し みるみるうちに 井戸の 中は あふれ出る 水で いっぱいに なった。
 この時 村人たちは まんまんと 湧き出る 水を ながめているうちに 不思議な力を 持った 小汚い この浮浪者を このままに しておいたら 村の なにもかも とられてしまうに ちがいない と思った。
 そこで 村人たちは ハリジュダを ぐるりと 取り囲み 殺して その体を 小さく 切って 井戸の中へ ほうりこんで そそくさと 帰っていった。

切り絵:井出文蔵先生

 村人たちが いなくなってしまうと 井戸端で じっと丸くなっていた ニワトリが バタバタと 井戸の中へ 飛んで いき 細かくなった ハリジュダの 体を ひとつ ひとつ くちばしでくわえて 引き上げ はじめた。
やがて、全部 引き上げおわると 犬が それらを ペロペロ なめだした。
すると 細かくなっていた ハリジュダの体が あっという間に ピタリとくっつき もとの ハリジュダになって ふうっと 息を ふき返した。
 そして 何事も なかったように 犬と にわとりを 連れて 歩き出した。
 それからというもの ハリジュダの 生まれ育った リアエ村の
 ナダエ族の 人々は 犬を 食べなくなったという。

        話し手: ラインハルド ラド(1989年)
 
 パラドが続けた。
「この話に出てくるアダマヌというのはな、ん・・・・慣習法に定められておる闘鶏だけに使う場所を言うんじゃ。他のことでそこを使ったらいかん。それを破ったら、リアエ族の場合、雌豚一頭、羊か山羊一頭、雌の赤い鶏一羽、それに数キロの米を添えて、ラトゥモネピドゥに払い渡さねばならん。神々が怒って病気や災害をひきおこさないように、これらの食べ物を捧げるってわけじゃよ。ん・・・・
このアダマヌをハリジュダの時代からアダハリとも呼ぶようになった。そしてな、リアエ族のナダイの者は、犬を食うのをやめたんじゃ」
「じゃあ、パラド、他の胞族の人は犬を食べるのですか?」
 犬を食べる習慣のない環境で生活している私には、一瞬奇妙に感じられたのだ。
「そうじゃよ、奥さん。ん・・・犬を食べないナダイの娘が、犬を食べる胞族の者と所帯をもったらどうなると思うね?娘はそれでも食べないさ」
 パラドの人を寄せ付けない不愛想な顔つきが、しだいにとろけるような穏やかな顔に変わっていくのがわかった。
 話の途中で外から帰ってきた仁と邦子は、服をきたままベッドの端にちぢこまって、既に眠っていた。

聖なる地”ナマタ”

 

 

 パラドから話を聞いた次の日、私は“聖なる地”が見たくなった。
 宿屋の息子に同行してくれるよう頼んで、セバ族の聖なる地、ナマタを見に出かけた。
 ナマタは宿屋から東に数キロ向かった小高い丘の上にあった。
石の階段を昇っていくと、右手に長老マウキアの家、左手にデオライの家がある。そして、階段を昇りきると、左手に聖なる石が十三個あった。
 石は大きいもので約直径二メートル、饅頭のような形をしたものから小さい棒状のものまで様々であった。それらの石は、生贄のための獣を殺す石、殺した獣を捧げる石といった具合に、それぞれに役割があるという。
 そして、円形に積まれた石垣の上に生えている木の根元は、十二人いる長老たちが相談をする場になっている。
 説明をしてくれたのは、石のそばに建っている家で、ナマタの番をしている老婆だった。
 老婆は縁側で綿から糸を紡いでいた。
 私は老婆に近づき、この島の古くからの習慣である、鼻と鼻を擦り合わせてする挨拶をし、シリとピナンの土産を差し出した。
「ちょうどシリとピナンを切らしちまって。欲しかったんじゃ」
 老婆は歯の無い顔をくしゃくしゃにして上機嫌だった。老婆は島の言葉しか話せないので、宿屋の息子の通訳を介した。
「わしは、九十六歳じゃが、針の穴に糸だって通せる」
 そう自慢してから石の説明をしてくれたのである。
 けれども、石の階段の途中にある長老マウキアの家を見せて欲しいと頼んでみると、あっさり駄目だと断られてしまった。
そこで私は、生贄に獣を殺しているけれども、昔は人を殺したのですか、と訊いてみた。
 老婆は、そのことについては口をにごしていたが、興味深い話が聞けた。
 昔、他部族、あるいは他民族が自分たちの部族に侵入して来て、戦争になると、長老マウキアの家の大黒柱のもとに、妊娠している女の首を埋めたのだそうだ。
 長老たちが三日三晩、魔術を使って祈り続けると、三日目の晩に、人知れずこっそりと身重の女がやって来る。
そして、定められた部屋で首をはねてもらうのを待っているというのだ。
 何だか背筋がゾクゾクした。
 しかし、妊娠している女がいないなどの理由で、女が来ない場合だってあり得るだろう。私の疑問に老婆は、その場合は、長老たちが大黒柱に槍を突き刺して、神にその理由を問うのだ、と答えてくれた。
 そして、さらに、昔の戦争は、槍や石などを使うが、本当は魔術と魔術の戦いだったのだ、と付け加えた。
 夕方のナマタは静かだった。
 眼下に広がる島の西側が、オレンジ色に染まり出していた。
やはり、ここは聖なる地、天に近く、神々に近い地なのだ。老婆はこの景色を百年ちかくも見続けているのである。
 こうして、一年目の旅は終わりにいたった。

ジンギテウ(原始宗教のみを信じている人々。インドネシア語は話さない)

 

 

 ナマタに行った次の日、滑走路しかない空港には、よそゆきの服を着たファイサルと、ファイサルの親戚、チィチィ、そして宿屋の息子も、日本に帰る私たち親子を見送りに来てくれた。
 私たちは、この島に降り立った時の、あの不安に満ちた心境とはまるっきり違う、晴れ晴れとした気持になっていた。
 そばで飛行機を待っていた島の人が、言った。
「奥さん、この島の者は、一年目で顔を知り、二年目で友だちになる。そして、三年目には兄弟になるんだ。だから、来年、また来いよ」



空港で。みんなに見送られて。