ゴザの回りには、昨夜から四六時中島の人たちがたむろしていた。
初めのうちは、荷物を整理したり記録をしたりして気を紛らわせていたが、する亊が無くなってしまうと、見たいんだったら見ればいいと開き直って、私は足を組んでひっくり返って寝ていた。
そばで順子は
「暇だから化粧でもそいてやるか」
と言って、汗と埃だらけの顔にファンデーションを塗りだした。
ゴザの回りの視線が、一斉に順子の顔面に集中した。それでも順子は、悠々とアイシャドウをつけ、縦に口を開けて念入りに口紅を塗っている。
「あなたもすれば?シミになるわよ。する事も無いし、食べる物も飲む物も無いんだから、こんな事でもしていなかったら身が持たないわよ」
私に誘いを掛けた。
さらに順子は、自分もしてみたい、といった顔で順子の手付きを眺めているチィチィを
横目で見て、「チィチィもどうぞ」と言い、口紅の先をポケットティッシュで拭いて差し出した。チィチィは流石に恥ずかしそうにククククッと笑って、両手で顔を覆っている。
確かに順子の云うように退屈だった。
食べる物も飲むものも底がついて、残っている欲望は眠る事しか無かった。けれども眠るにはちと暑すぎるし、明る過ぎる。それに、大勢の人間が無言のままじっと食い入るように私たちを見ているのだ。
私は、順子にならって日焼け止めがわりのファンデーションを顔に塗って、暇つぶしにトイレに行った。

イカット
(糸を手で紡ぎ、染色しない部分を糸でしっかりと括り染めを避け、更に別の色を染める
ため或いは色を重ねる為に染色を避ける部分は更に糸でしっかりと括る。それを繰り返す。)
入道雲の旦那の家のトイレは、母屋の東側にあった。
椰子の葉っぱを少し重ね合わせて地面に刺して目隠しにしている。中に、中心をくり抜いた石がボンとひとつ置かれてあった。その凹みに水がはられている。
石の回りで用を足して、後始末に凹みの水を使うようだった。
私は用を足して、灰のようにポカポカに乾き切った土を足で被せながらふと、次のトイレが心配になった。
この乾き切った空気に触れれば、用を足した水分は瞬く間に乾き、跡形も無くなるだろう。事実、私の排出物は縮れるように土に消えていったのである。
と、なると、次に入る者は、前の者が何処で排出していったかを判別しにくいという事ではないか。最悪、大きい物を踏んづける場合だってあり得る。
そこまで考えてしまうと、大きい物がそこいら中に埋められている手榴弾のように思えてくる。私はビクビクしながらつま先の感触を研ぎ澄まし、あるかないかを確認しながらほんの三歩ほどでトイレから跳びだした。
トイレから出ても、退屈な時間はウンザリするほど続いた。パジョンソンは若い奧さんの所から帰ってきそうになかった。
「今日は帰れんな」
パグルが呟いている。振り向くとまた、
「若い母ちゃんの処がいいんだな。駄目だな、今日は」
ぼんやりと海を眺めながら繰り返した。
そうなると私のスケジュールはどうなるのだろう。二日後クパン行きの飛行機に乗る。それからクパンで1日潰す。三日目はスンバワ島。スケジュール通りにいかないと、帰りの飛行機代は損になる。
私は頭の中でそのような計算をしていた。しかし、ムッとする感情は起こらなかった。暑さのせいで、感情までも伸びきってしまったかしら、と自分でも不思議だった。
パジョンソンは帰って来なかった。
食べる物は全て食べ尽くして、夕食にするものが無い。何を食べようかとという切実な問題が目の前にあった。
入道雲の旦那に相談しても旦那の家には米は無い。痩せた顔を曇らせて、みんなにご馳走する余裕は無いでやんす、と断られるのは目に見えていた。
だんだん薄暗くなってきていた。
このまま何も食べないで夜を明かしても、一体明日はどうなるのだろう。明日、船
はでるのだろうか?
五人は空っぽの腹を抱えて、ただゴザに座っていた。
そんな時、
「魚!魚!」
オクタがいきなり立ち上がって、入道雲の旦那の家の方を向いて叫んだ。
ゴザのまわりにたむろしていた若い男のひとりが、魚の尻尾を掴んで小走りでやって来る。それが目に入ると、侘しい思いで沈んでいた私たちの誰もが、魚、魚、魚が食える、と俄に活気づいていた。
魚はカツオほどの大きさだった。
コロコロと太てた旨そうな魚だった。
「お醤油とワサビがあったらいいのにねぇ。美味しいだろうなぁ」
順子がいかにも旨そうに舌なめずりをした。ホカホカご飯に糠味噌漬けでも添えて、これを刺身にしたら、そして此処で食べたら最高!と私もはしゃいでいた。
しかし結局、魚は焼く事になった。
料理人となった腹ペコのオクタの、この時のオクタのすばしっこさといったら目を見張る物があった。
まず入道雲の旦那の家から塩を貰ってきた。それから、ガサガサと近くの藪に入り薪を集め、塩を振りかけた魚をバナナの葉っぱに載せて薪の上に置いて火を付けた。五分とかからぬ手際よさだ。
枯れ枝がパチパチと音をたてて燃え上がると、それを囲んでいた誰もが、魚の焼け具合を見ているオクタの手元を覗き込んだ。
存在感の無いオクタが料理人オクタに変わった時、別人のように輝いていた。
「もう、焼けたでしょう。奧さん、順子さん、召し上がってください」
オクタはいつも丁寧だった。がさつでズケズケものを云う私には、この時のオクタの丁寧さが応えた。そして、
「パグル、オクタ、チィチィ、どうぞ先に召しあがってください」
控え目に先を譲った。
「いや、奥さん、奥さんから先にどうぞ」
パグルが云う。オクタもチィチィも、
「奥さんからどうぞ、どうぞ」
どうぞ、どうぞの合戦だった。
「ねぇ、みんなで一緒に食べようよ。あなた、そう皆に言ってよ」
順子は枯れ枝切れ端を二つに折り、お箸を作って構えている。
結局、順子の提案どおりに皆で一斉に食べだした。
尻尾のあたりは良く焼けていたが、腹のまわりはまだ生焼けの状態だった。しかし、皆「焼けていない」と言いながらも綺麗に平らげてしまった。
腹いっぱいになって又ゴザの上に転がると、夜空にまん丸い月がこうこうと照っていた。

パジョンソンとその3番目の若い奥さん
次の日、昼近くになってもパジョンソンは現れなかった。
「よっぽど、若い母ちゃんがいいんだな」
パグルは、煙草をふかしながらブツブツと独り言を言っている。
朝から何も食べていなかった。その精か暑さの精か、私は一向に腹が立たなかった。しかし、パジョンソンが戻って来たら文句の一つも言ってやろうとは思っていた。
着ている物は、ずっと着たままだった。恥ずかしい話で、文章には書くべきでは無いのかものかも知れないが、敢えて実情を克明に伝える為に筆を進めるつもりである。
パンツに至っても、ライジュア島に来てからずっと替えてはいなかった。替える時間があるではないかと指摘されそうだが、問題は時間ではなかった。
私たちが少しでも変わった行動をすれば、ゴザの周りにたむろしている島の住民たちがゾロゾロと後について来るのである。下着を替えようにも替えるチャンスが無いのだ。
それに、浴びる水も無かった。
着の身着のままで食べる物も無く、ゴザの上でただぼおっと過ごしていた。
千ィチィはすっかりふて腐っていた。そして、ニタニタしながらゴザの周りにたむろしている人達に向かって嚙みついた。
「ああ、やだ、やだ。こんなど田舎!空気喰って、生焼けの差かな喰って、砂喰って!トイレだって無い!浴びる水も無い!みんなジロジロ見て、ああ、やだ、やだ!あたし、頭が痛い!」
そこまで云われても彼らは相変わらずニタニタと笑っているだけで、決してゴザの周りから離れようとはしないのである。
パグルは、彼らは私達が悪人ではないと知って、それで去らないのだと云う。
そのうち、少し離れた所にある朽ちて倒れている木に腰掛けていた、目の窪んだ六十過ぎの年寄りが話し掛けてきた。
「わしやあ、クティタの山の上で採った石で作ったお守りを持っとる。ほら、これだ」
そい云って、首から黒い紐に下げた石を外して見せた。
私は年よりの口にした「クティタ」という言葉に惹きつけられその石を手に取った。石は日本でも風鈴などに使われている、横に縞の入った長さ10センチほどの軽いもので、取り立てて変わった所はない。
「やるよ」
年寄りが云った。さらに、
「わしゃあ、昔は慣習法の長老のひとりじゃった。じゃが、今はクリスチャンだ。もう、これには用はない」
そう、きっぱりと言って又口をつぐんだ。私が順子に、クティタの石で作ったお守りだって、と話すと、
「あなた、爺さんに気に入られてのよ。それを首に下げたら帰れないわよ」
と脅かした。少々気味が悪かったが、試してみたくなって、私はその石を首から下げた。
すると、どういう訳か、年寄りは思い詰めた顔で腕組みしたまま、ウゥーンと唸り出した。私が何かまずい事をしたのか、或いは石をあげるのが嫌になったのかと気を揉んでいると、またウゥーンと唸った。
「どうしようかの。ウゥーン、ウゥーン」