https://nizaemons.com/item-detail/1808687 「串揚げかご」って何?とお客様に訊かれます。 もう少しオシャレな名前にした方がいいのかな?とも思います。 こちらは、串揚げ「最上」さまの特注でお作りしたかごです。 一度お作りして、再度ご注文頂いた際、…
Qお手入れ方法は? 網目に埃などが入りますし、ケバなどが出る場合がありますので時々タワシで表面をこすり、ケバは爪切りで切ってください。使えば使うほど表面がツルツルになり、色も飴色に変化していきます。 Q雨などに濡れたらどうしたらいいのでしょう…
かごの仁左衛門メール: 2025/10/3 https://nizaemons.com かごの仁左衛門 涼しい日やって来た! ----------------- こんにちは。 かごの仁左衛門メルマガ担当の和知幸枝です。 ポツンポツンと曇りの日があると何だかホットします。 このまま秋になってほし…
https://nizaemons.com/item-list?pageIndex=0&sortKind=3&campaignId=10465 アタかご作りにはたくさんの人々がいろいろな形で携わっています。 「アタ取り」➡「アタ材料買取販売業者がアタを買い取る」➡「アタ材料買取販売業者 ➡ 胴元へ」➡「下準備から編み…
かごの仁左衛門メール: 2025/9/05 https://nizaemons.com かごの仁左衛門 暑いです! ----------------- こんにちは。 かごの仁左衛門メルマガ担当の和知幸枝です。 異常な暑さですね! かすみがうら市での起業。第一番目のお客様のお名前は私の記憶に深く…
かごの仁左衛門 ネコかご販売ページ https://nizaemons.com/item-detail/1788573 動物は嘘をつきません。 愛情をあげれば必ずその愛に応えてくれます。 私は幼い頃から猫を飼っています。そんな猫との生活が当たり前になり 今でも猫と暮らしています。私にと…
https://nizaemons.com/item-detail/1802516 ベジタブルバスケット 私はアタかごに魅せられて30年以上になります。 仕事として600種類以上のアタかごと出会いました。どれもこれも魅力的ですが、特にこの“ベジタブルバスケット”は、心底心惹かれます。 この…
かごの仁左衛門メール: 2025/8/9 https://nizaemons.com かごの仁左衛門 HP オープン! ----------------- こんばんは! かごの仁左衛門メルマガ担当の和知幸枝です。 毎日暑いですね! 日本の暑さは湿気が多いことから息苦しい。 それに比べて乾季のインド…
(十五の前半) 結局、出発地点の砂浜に戻ったのは夜中の十時半だった。 約九時間近く歩いていた事になる。そんな体力が自分にあった事がおおよそ信じられなかった。 砂浜には、暑さをちょっと凌ぐために棒を立てて組んだ棚に、椰子の葉をパラパラと載せた …
2025年7月7日(月)仁左衛門ショップオープンしました。 https://nizaemons.com/ 振り返れば約2年前にここかすみがうら市の実家に戻る決意をしました。 江戸時代に建てられた古民家に”手編みカゴ“はきっと似合うと直感したから、空き家になってしまった実家…
(十四) ライジュア島行きの計画は、チィチィと手紙のやりとりで丹念に打ち合わせておいたので問題はなかったが、ネックは順子だった。 順子にはサウ島に残ることを一応承諾させてはいたが、部屋にこもって煙草ばかり吸っている順子を見ていると、ひとりここ…
日本に戻っても、私の胸の中で高まっている興奮はいっこうにおさまらず、何をしていても、まだ見ぬライジュア島を想像したり、石投げ合戦と日本の豆まきとの関連を考えてみたりする日が続いていた。 それが、他人の目には、まるで私がバリ島あたりの男に溺れ…
その晩、チィチィの言っていたとおり、ファイサルが中肉中背で五十はとうに越している男と宿屋にやってきた。 パラドである。 パラドに限らず、この島の人たちは日本人にそっくりの容貌をした人が多い。特にパラドは、それが顕著で、その浅黒い顔をいくらか…
宿屋の裏でニワトリと遊ぶ邦子と仁 鶏肉を食べた次の日の昼頃、私達親子を空港から宿屋に案内してくれたファイサルが、昔話を知っているという六十過ぎで丸顔のオビという男を連れてやってきた。 やたらニタニタ笑う男で、笑うたびに、かろうじて残っている…
旦那やおかみさん、それにファイサルにも、私はここに昔話を聞きに来たのだから、話のできる人がいたら教えて欲しいと宣伝しておいた。 しかし、脳のどこかの神経がきれてしまったかのように、丸一日半、私は泥のように眠っていた。 子どもたちは日本から持…
渡辺さんたちと空港で別れて、私たちはサウ島へ向かう双発プロペラ機に乗った。 飛行機は、ひどいものだった。 錆びついた外壁、破れかかった座席、ボデイに描かれている“ヌサンタラ エアラインズの文字まで薄汚れていた。 ここの人たちにとって料金が高いせ…
ー スンバワ島の東端の町、ビマから飛行機でチモール島クパンへ ー 飛行場はティモール島の南端の町、クパン郊外にあった。 地理的条件から、バリ島以東の島々に飛ぶ飛行機の重要中継地点になっている。それだけで空港はどことなく開放的で明るく、田舎都会…
あくる日は、スンバワ島の西にあるスンバワブサールから東端の町、ビマまでバスで横断して向かう日だった。 朝からせわしく、近所の人やアレックスの友だちが入れ替わり立ち代わり顔を出しては、 「また、いらっしゃいね」 と言って帰っていく。 アレックス…
地図で見ると、スンバワ島の北にダチョウの頭のような格好をした島、モヨ島である。 アレックスの話では、二つぐらい村があり、野ブタや牛、鹿、様々な美しい鳥、そして大蛇までいるという。 私が 「昔話はあるの?」 と、訊いたら、奥さんと二人でゲラゲラ…
晩になるとマラリヤにかかるのを恐れて、窓をしめきったまま蚊取り線香をたいて床についた。スンバワでの初夜は、疲れ切って死んだように眠りこけてしまったから何とも感じなかったが、その晩はいささかまいった。 床について半時間もたたないうちに、四畳半…
夕方、ラペに行かないかと誘われた。 そこにはアレックスの弟の義父が住んでいて、昔話を知っているというのだ。 昔話は逃げていく訳でもないのに、旅の疲れも、子供への気配りも忘れ、ふたつ返事で 誘いに乗った。 インドネシアでは、出かけるとなると、ど…
アレックスの家は空港から程近い、街中の大通りから路地に少しばかり入った突き当りにあった。その辺りはびっしりと家が建て込んでいて、路地の両側に掘られた溝には汚水が淀んでいた。 鉄の低い門扉を開けながらアレックスは馬鹿でかい声で、おーッ、おーッ…
(一) 1987年、7月23日、11歳になる息子の仁と9歳になる娘の邦子を連れて インドネシア・ヌサテンガラ諸島に伝わる民話を聞き歩く旅に出た。 交通機関の時刻表すら無い無茶苦茶な旅であった。 バリ島に2泊した後、取り敢えずスンバワ島に向かう事に…
母の実家は山ノ荘村本郷にあった。 筑波山連山の一つ、雪入山につながる浅間山の裏側にあって、母は、 私が3、4歳のころ幾度かその山を越えて実家の本郷へ逃げ帰ったと聞いている。 私の記憶の奥底にあるその日の夕方。野良仕事を終えた母は薄暗い台所に 立…
[1] 2014年暮れから正月にかけて、念願のコモド島へ娘と孫の3人で行くことになった。コモド島に棲む「コモドオオトカゲ」を見てみたいし、コモド村に伝わる民話もききたかったからである. バリ島から国内線でフローレス島のラブハンバジョウまで飛び、そこ…